新庄市、最上公園のアジサイ 2005.7.17
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新庄市の花、「あじさい」を見に最上公園へ  日当たりの良い紫陽花には遅かったようですが
木立に守られたアジサイが満開でした
戸澤神社2005.7.17



最上公園のアジサイ01-2005.7.17



最上公園のアジサイ02-2005.7.17



新庄城絵図



新庄城について 説明看板



天満神社本殿・拝殿



天満神社本殿・拝殿 説明看板


新庄城について説明看板から引用
新庄城は、寛永2年(1925)、新庄藩初代藩主、戸沢政盛が築いた城である。創建時の新庄城は、本丸中央に3層の天守閣、3隅に隅櫓、表御門・裏御門を備え、二の丸は役所や米倉、大手門・北御門を有し、三の丸には多数の侍屋敷を区画した堂々たる近世城郭であった。
庄内藩は最上郡一円と村山郡の一部、6万石(後に6万8200石)を領した。藩主戸沢氏は元和8年(1622)から明治初年まで、11代 250年にわたり、この城を拠点として藩政を展開した。
慶応4年(1868)7月、新庄城は庄内勢に攻められ、黒煙を吐いて焼け落ちた。明治に入って、新庄城は廃され、跡地は新庄学校・勧業試験場・招魂社・郡会議事堂などの敷地として利用された。
図は郷土画家、尾形芦香(1858〜1946)が、自分の幼いころの記憶を古老の証言で確かめつつ描いたもので、幕末時代の新庄城の様子を今に伝えている。


天満神社本殿・拝殿 説明看板から引用
山形県指定有形文化財(建造物)昭和62年8月25日指定
この天満神社は、新庄藩主戸沢家の氏神として、旧領秋田仙北の角館時代から崇敬されてきました。
元和8年(1622)に、藩祖政盛公が常州(現茨城県)松岡から新庄に入部した折に共に移し、寛永5年(1628)に、新庄城本丸西南の現在地に遷座したものです。
本殿は、一間社流造り、拝殿は三間の入母屋造りで、いずれも茅葺の素材で重厚な造りであり、江戸時代の、建築様式の特徴をよく表している神社建築の一つです。
二代藩主正誠公時代の、寛文8年(1668)に社殿を再建し、さらに延宝8年(1680)には、愛児政武の息災延命を祈願して、茅屋根の葺き替えなどを行ったことが、棟札に記されています。
豪華な山車が、市内を賑々しく練り歩く現在の新庄祭りは、戸沢家の氏神である、天満宮の祭礼が始まりとされています。
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